第14回テルマエ・ドスエ

京都での独り暮らしをはじめてちょうど1年が経つ。それなりに自分の生活スタイルも確立し、家事についても要領を覚えたり適度にサボったりと、いい塩梅でこなせるようになった気がする。実家での暮らしと比べるとなんでも自分でやる必要があり大変なことも多いが、その多くはある種のエンタメ性を伴っており、なんとなく楽しいものでもある。
同時に、実家でしか得られないものにも気付かされる。ベタではあるが、例えば母親の手料理というものは、独りレトルトカレーを食している夜などにはバツグンに恋しくなるものだ。もちろん、帰省するたびに何かしらの料理をタッパーに詰めて京都に持ち帰っている。
そんなノスタルジアの権化と同じくらいに恋しさを掻き立てるものがある。ズバリ、湯船で浸かる「熱いお湯」である。

独り暮らしを始めてからというものの、なかなか「熱いお湯」にありつけないでいる。水道代にナイーブになっているというのも理由のひとつだが、住まいが一般的なワンルームマンションなので、バスルームおよび湯船がシンプルに狭いのだ。これではあまり快適な入浴体験は期待できないということで、自宅での入浴は専らシャワーであり、もはや「行水」と呼ぶべき代物である。
風呂がめちゃくちゃ好きというわけでもないので別に平気なのだが、たまには広い湯船で脚を伸ばしてゆったりと熱いお湯に身を預けたいという欲求に駆られたりもする。その上、この季節の暴力的なまでの寒さも加わるとなると話は別だ。もはや「お湯に浸かりたい」という人間的な欲求は、「浸からねば死ぬ」という生物的な生存本能にその姿を変える。そんな生死の縁に立たされた凍える子羊たちを救うべく、銭湯という名の天国が点在しているのが京都の街である。

風呂付きの住居が一般的になって以降、銭湯をはじめとする公衆浴場は全国的にその数を減らしている。このご時世、銭湯に行ったことがないという人も決して少なくはないだろう。京都でも年々銭湯は減少傾向にあるが、それでも今なお市街地を中心に100軒以上の銭湯が現存している。京都の銭湯の特徴として(個人的に)最も注目されたいのが、内装の多彩さである。タイルで彩られた浴場のモザイクアートや、脱衣所や番台に見られる年季の入った装飾などが、入浴という日常の一行為を豊かなものにしてくれるのだ。
京都の銭湯を語るうえで外せないのが、北区は船岡山の麓にある船岡温泉。大正12年からの歴史を持つこの銭湯、元は「船岡楼」という料亭旅館で、建物の随所に芸術的な装飾が見られる。中でも脱衣所の天井から見下ろす鞍馬天狗の彫り物は圧巻のひと言。檜風呂やジェットバスなどもあり、電気風呂は日本で初めて導入されたと言われている。
また、河原町五条の高瀬川沿いで、ネオンサインがひと際目立つのが梅湯である。一時は廃業の危機に追い込まれたが、学生時代に梅湯でバイトをしていた志ある一人の青年が店を引き継ぎ、見事復活。オリジナルグッズの販売や浴場でのライブイベントなど、「銭湯」の枠に囚われない斬新なアイデアで、銭湯カルチャー全体を盛り上げている。

かつては浴場でご近所さん同士が顔を合わせる「町の社交場」としての機能も果たしていた銭湯。喫茶店やバーのような洒落た雰囲気とはすこし趣向が異なるかもしれないが、そういうご近所さんとの交流の場や、或いは遊びに来た友人をもてなす場として家の近くに行きつけの銭湯を持つことは、ひとつの京都人の嗜みとして定着してもよい文化だと思う。そこでの人と人との触れ合いは、お湯以上に心温まるものだったりする(銭湯の話だというのに、実に手垢のつきまくった喩えである)。

テルマエ・ドスエ
筆者・ヨウイチ