第11回ゆく年くる年地方都市の暮らし

今年も残すところあとわずかである。冬嫌いな僕にとっても、この12月後半~大晦日にかけてはなんとなく好きなシーズンだ。師走というだけあって、仕事納めに大掃除に年賀状に……と慌ただしくしつつも、どこかのんびりしているような、そわそわとふわふわが綯交ぜになったような空気が充満している。行き交う人々もどこか浮足立っているように見える。
華やかな花火の演出があったりクリスマスの延長で盛り上がったりと、多くの国のお祭りムードな年越しに比べると、日本の年越しはずいぶん粛々としたものだ。そのためか、京都も年末年始は海外の観光客が少ない印象だ。たくさんの人で賑わう京都の街も楽しいが、落ち着いて過ごせる京都の年の瀬もまた乙なものである。

そう言えば今年の初詣は、友人と二人で八幡市の男山にある石清水八幡宮に行ってきた。京都市内の神社はどこもかしこも混みまくりだろうということで、ちょっとニッチそうな場所にしようと(「男山」という立地も面白かったので)選んだのだが、最寄りの京阪八幡市駅は普通に参拝者で溢れかえっていた。そこから「男山ケーブル」に乗って山頂の神社を目指すのだが、ケーブルカーもすし詰めである。男山で男二人、「オトコが上がりますように」とお祈りしたが、願いが聞き届けられたのかどうかは定かではない。
この石清水八幡宮、よくよく調べてみると「日本三大八幡宮」のひとつであり、伊勢神宮と並び「二所宗廟」に数えられ、本殿を含む十棟の建造物が国宝に指定されているという、めちゃくちゃに格の高い神社だった。「ニッチっぽいな」とか言っていた自分たちの無知蒙昧さよ……「オトコを上げる」前に基礎学力を上げたほうがよいのではないか。何はともあれ、京都の寺社に関しては混んでいないところを探す方が難しいぐらいなので、どうしてもちょっと気疲れしてしまう面倒くさいイベントという気がしないこともないのだが、あのちょっとした活気はやっぱりおもしろいし、大きい神社での初詣は「初詣したな~」という謎の達成感が味わえるので、なんだかんだ言っていいものだな、と思う。

年末を飛び越して年始の話になってしまった。こうして京都でのつつがない暮らしを発信する身として、今年の年の瀬は「年越しにしんそば」で締めたいと考えている。
にしんそばとは、かけそばに身欠きにしん(にしんの甘露煮)を乗せたシンプルなもの。関西風の薄口のお出汁とじっくり時間をかけてやわらかく煮込まれた甘辛いニシンのハーモニーが絶妙にお上品で、日本の年末の静かな祝祭感に彩りを添えてくれる。江戸初期からの歴史をもつ祇園四条の劇場「南座」のすぐ隣にある、そば・うどん処「松葉」の二代目が考案したのが起源と言われており、京都名物として現在に至るまで広く愛されている。蕎麦からつくるには知識、経験、道具、調理スペースなど、ありとあらゆるものが足りないが、せめて身欠きにしんをつくる手間ぐらいはかけた手作りのにしんそばで年を越すというのが、京都在住男子に課せられた(勝手に課した)今年最後のひと仕事である。

京都特有の厳しい底冷えには耐えがたきものがあるが、しんと静かな夜には不思議とベランダの窓を開けてみたい誘惑に駆られてしまう。凍てつくような澄んだ空気には、一周回ってハイにさせる力があるのかもしれない。
大晦日になれば、遠くから近くからぼぉおんと、除夜の鐘の音が届くのだろう。にしんそばで膨れた腹をさすりさすり、寒さも忘れて窓を開けて、その厳かな音色が京都の冷たい空気を揺らすのを待とうと思う。
それではみなさん、よいお年を。

ゆく年くる年地方都市の暮らし
筆者・ヨウイチ